アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』 (ハヤカワ文庫 SF (341))

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))
(1979/04)
アーサー・C・クラーク

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 SFもの第5弾?です。
 とうとうやって来た大御所、アーサー・C・クラークですよ~。次はフィリップ・K・ディックですw

評価(☆5が満点)
☆4

あらすじ
 人類が宇宙に進出しようとしたまさにその日、巨大宇宙船団が地球の空を覆った。やがて人の頭の中に一つの言葉がこだました――人類はもはや孤独ではない。
 それから50年、人類よりはるかに高度の知能と技術を有する異星人はその姿を人類の前に表すことなく、平和裏に地球管理を行っていた。彼らの真の目的は何なのか。人類の未来はどうなるのか。
 宇宙の知性との遭遇によって新たな道を歩み出す人類の姿を描き出した名作。

感想
 さすが巨匠の名作。
 評価されているだけのことはあって、とても面白かったです。

 一番驚いたのは、普通に読めたことです。
 1952年の出版で、その当時の技術予想を基に未来を描いているはずなのですが、60年以上経った今読んでも違和感が無いということが一番すごいですね。
 まぁ、宇宙人との遭遇があり得ないとかいう実際面での突っ込みはなしでお願いしますw

 タイトルの『幼年期の終わり』は、本書を最後まで読むと意味がわかります。
 それに合わせてですが、本書は「我々は何処から来て、どこへ行くのか」といった哲学的命題への答えの一つを提示しているのではないでしょうか。そうした哲学的考察を含めたSF作品は多くあると思いますが、この作品が嚆矢ということなんでしょうか。

 本作は、三部構成になっています。
 一部は、宇宙からやって来た知性体、オーバーロードと呼称される彼らとの接触を果たした第一世代の人類の話。
 二部は、オーバーロードの導きによりかつてない繁栄を謳歌するようになった人類の黄金時代の話。
 三部は、オーバーロードたちの目的と、人類のその後へと繋がる話。
 このように、各世代の人類を通して、オーバーロードと人類の交流、彼らの目的が何かが次第に明かされていくという構成になっています。
 作中の人類と同じように、読者にも次第に物語の真の姿が明らかにされていきます。


 SF色、特に科学技術的な話はそう多くはなく、むしろ「人類とは何か」といった哲学的考察が週に据えられている印象です。 その点で、科学技術考察が好きな方には少し物足りないものかもしれません。
 また、アクションといった点では、作中には全くありません。宇宙人との遭遇ということで、『インディペンデンスデイ』のようなものを期待してはいけません。

 そうした耳目を集めるものは薄いのに、読ませます。 とても楽しく読めました。
 SFはまだ読んだことないという人にも、おススメの一作です。

 個人的にはオーバーロードではない、「彼ら」(ネタバレ回避です)は何がしたかったのかという謎があります。
 人類を変容させて、どうするつもりなのか?
 そうした点まで描いても良かったのではないかなと思いました。まぁ理解不能な存在ということで、ああした書き方で終わっているのかもしれませんが。

 もう一つ、個人的には『Xenogears』のネタ元の一つ(確か)に触れられて良かったですwww
 カレルレンとフェイですね。 フェイが犬だったのは笑えましたが。
 

※※ちなみにですが、先に「宇宙人との遭遇があり得ない」と書きましたが、宇宙人の存在は否定しません。この広い宇    宙にむしろ人類だけしか存在しないと思う方が不思議。
   ただ単純に、地球にやって来ることが物理的に不可能だろうということは思ってます。
   光速でも数十年かかるのだから、生きて辿りつけるのかどうか疑問ですね。炭素型生命体でなければ可能?
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